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鷹巣の歴史

鷹巣の歴史

朝倉義景と鷹巣村の伝説
朝倉義景が織田信長に追れて、大道橋付近にて最後の決戦をしょうと主従別れの水盃をした後戦ったが破れ退却し、余南(よな)現在和布町付近に籠る。
この時、矢つきてしまったが補給の当てもなく途方にに暮れていた。義景の家臣の一人が心情を察し島に渡り「汝、我が一心を叶えて敵に矢になって見せ給え」と祈願し岩を抱きかかえ念じ伏せると不思議にも岩が多数の矢になってしまたとの事。この様子を見ていた敵が非常に驚きその後島を矢島と呼ぶようになった。
義景はこの戦いにも敗れ、松蔭に逃来て今の勝明寺の所に庵を作りすんでいました。
この時松蔭区民は恐る恐る庵を訪ね御機嫌を伺えば義景はことのほか喜び「ここはいかなる所なりや」と問われ、区民わ「松蔭なり」と答えると、義景は「ああ、義景の景を持つ松蔭なりか、やれ嬉や」とおおいに喜んだみたい。
 この時、義景は「何なりと望みあらば申せ」と言われた。区民はせいかつのあんていを求め、沖を通る船に通行税を課するよう進言し直ちに許可を取り付け、手漕ぎ船を沖に出し航行中の船から帆一枚に付き何文か税取り収入ができ豊かな生計を営むようになったと伝わる。
 後に義景のいた庵の座に剣一振を埋亀島に移たとのこと、しまには義景お用いた米つき場二カ所残っているみただ。
その後庵の座に勝明寺建築の際、錆びた一振の剣が出土し、磨いた所義景と彫った文字が現れ義景の埋めた物と判明した。
その事より、勝明寺は朝倉の姓を名乗るようになったと伝わる。
                                       
                                              記 鷹巣村志より

亀島(がめじま)春の雪景色                  夕日

2016-08-25 15:57:07

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