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HOME»  明治七年創業――老舗・岩尾醤油の歴史---

【明治七年創業】老舗 岩尾醤油の歴史

ご挨拶

■ 蔵元のご紹介|150年続く、福井の老舗「岩尾醤油醸造元」

「ヂガミイワ醤油」の名でご愛顧いただいている岩尾醤油醸造元は、
明治7年(1874年)、福井県福井市・越前海岸の鷹巣村で創業しました。創業者・初代 孫次郎は、日本海の荒波に揉まれながら魚の売買や小舟での運搬業を営んでいましたが、
命の危険と隣り合わせの暮らしから一転、安定と信念を求めて醸造業の道を志したのが始まりです。

以来150年もの間、自然の力と職人の手だけで仕込む、天然醸造醤油を守り続けています。
 

■ 魚料理に寄り添う、福井の味

海の幸が豊富な福井で育まれた私たちの醤油は、刺身や焼き魚、煮物など、
魚の旨味を引き立てる味わいとして、料理人の方々からも厚い信頼をいただいています。

「塩角がなく、まろやかで深い味わい」
「煮物の照りと香りが違う」
そんなお声が、全国から届いています。

 

歴史の紹介

【創業の原点】初代・孫次郎の歩みと岩尾醤油のはじまり

岩尾醤油の創業者・**初代 孫次郎(幼名:糸吉)**は、文化6年(1809年)2月16日、福井県旧坂井郡鷹巣村松蔭区に生まれました。若い頃から独立を志し、22歳でわずかな田畑と家財を譲り受けて分家し、「孫次郎」と名を改めました。

生家を離れた後、母と弟とともに生計を立てるため、魚の加工と小舟による運搬業を始め、敦賀や三国間を航行しながら魚の売買を行っていました。しかし、天保年間の大飢饉に見舞われ、物価の高騰と凶作で地域は混乱。弟を若くして亡くし、自身も過酷な日々を強いられます。

どん底の暮らしの中でも、孫次郎は諦めず、開墾・漁業に励み、結婚後も地道に働き続けました。しかし天保11年(1840年)には近隣の火災で作業場が全焼し、再び生活は振り出しに。
それでも彼はすぐに再建に取りかかり、やがて地域のまとめ役として「五人頭」の役職を任されるまでになりました。

しかし、最愛の長男・初五郎が31歳で病に倒れたことをきっかけに、孫次郎は「危険な海の仕事」から「安定した職業」への転換を決意。
こうして、明治7年(1874年)、「岩尾醤油」の礎となる醸造業を創業しました。

以後、四男・乙五郎が跡を継ぎ、「二代目孫次郎」として家業を継承。
その後も、150年にわたり「手づくり・天然醸造」の伝統を守り続けています。


初代・孫次郎が遺したもの

  • 貧しさや飢饉に打ち勝つ不屈の精神

  • 近隣の人々と助け合い、信頼を築いた人間力

  • 苦しい時代でも「家族と暮らしを守る」強い意志

  • そして、伝統を今に伝える「天然醸造」の礎

【発展と試練の時代】二代目・孫次郎と醸造業の本格化

明治7年(1874年)、初代の意志を受け継いだ二代目・孫次郎(乙五郎)は、漁業と並行して醤油醸造業を本格的にスタートさせました。

創業当初は小規模だったものの、誠実な商いと丁寧なものづくりで徐々に評判を呼び、明治14年には醸造所が手狭になるほど事業が成長。それに伴い、新たに土蔵を一棟建築し、いよいよ本格的に醤油づくりに力を注ぎはじめます。

しかしその矢先、明治15年1月、隣区からの火災が拡大し、町の大半を焼く大火災が発生。新築したばかりの土蔵も炎に包まれようとする中、二代目孫次郎はひとり、手押しポンプを使って必死に消火活動を行い、原料と醪(もろみ)だけは死守しました。

この行動が功を奏し、他家が苦しむ中、比較的早期に醸造業を再建。明治20年には再び土蔵を再築し、元の生産体制を取り戻しました。


醤油から麹へ――さらなる事業の多角化

その後も醸造と漁業は順調に発展し、明治41年には醸造所を2棟増築。この頃には地域での信頼も厚くなり、二代目は数多くの村の役職も兼任。名実ともに地域の柱となっていきます。

さらに、明治45年からは塩の小売業を開始し、
大正3年には麹製造の免許を取得して、本格的に麹づくりにも着手。これにより、岩尾家の醸造業は単なる“醤油屋”ではなく、発酵文化を担う存在へと成長していきました。


二代目・孫次郎の精神

  • 「困難にも屈せず、守り抜く」

  • 「地域とともに成長する」

  • 「誠実なものづくりに徹する」

これらの信念は、今なお岩尾醤油に受け継がれています。


ご希望があれば以下の形式にも対応可能です:

  • 年表スタイル(初代〜現在まで)

  • 掲示資料用の要約版

  • 英語対応(外国人観光客・グローバル向け)

  • ドキュメンタリー風ナレーション台本

【近代化と拡大の時代】三代目・孫次郎の革新と哲学

三代目・孫次郎(幼名:光五郎)は、二代目・乙五郎と初五郎の娘「いゑ」の間に、明治21年(1888年)9月25日に誕生しました。
大正14年に家督を相続し、家業である醤油醸造業を継ぐと同時に、その経営手腕を活かして事業のさらなる発展に力を尽くしました。


底引き網漁と流通の開拓

三代目は、新たに木炭の販売事業や発動機船(エンジン付き漁船)による底引網漁を導入し、家運を大きく飛躍させた実業家でした。

この船を活かし、当家の醤油は地元のみならず、鮎川、蒲生、茱崎、三国、さらには北海道まで販路を拡大
当時はまだ道路整備が不十分な時代であり、原料の運搬や商品の配送もすべて自家の船で行うという独自の物流体制を確立していました。これにより、運送費などのコストを抑えることができ、事業を安定的に拡大することが可能となったのです。


経営哲学を伝える「家訓五ヶ条」

三代目・孫次郎が残した**家訓「心得五ヶ条」**は、単なる事業者ではなく、経営哲学を持った商人であったことを物語っています。その一部をご紹介します:

一、本源の小さきを忘れ、流れの大きさほこらざるよう、心掛くべきこと。
一、険と斉、勇と乱、愉と驕とをあやまたざるよう、心掛くべきこと。
一、祖先より伝わりたる営業を盛大ならしめ、一家の円満をかかざらざるよう、心掛くべきこと。
一、営業は、すべて時代により、吉凶あれば時にならい、営業の盛緩を計り、開運の期を待つべき様、心掛くべきこと
一、従来より伝わりたる営業を廃止し、経験のなき営業に専念せざるよう、心掛くべきこと。

この家訓には、「伝統を守りながらも時代の変化を恐れず、商売に誠実であれ」という三代目の姿勢が凝縮されています。


志を継ぐ者たちへ

三代目は、厳しい時代の中で事業を成長させ、醸造業と地域に大きな貢献を果たしました。
昭和10年にその生涯を閉じましたが、彼の残した家訓と精神は、今もなお岩尾醤油の屋台骨となっています

【戦後復興と専業化】四代目・孫次郎の決断と継承

四代目・孫次郎(幼名:久義)は、明治42年(1909年)11月20日、福井県坂井郡春江町田端にて、上野弥兵衛の五男として生まれました。
昭和8年(1933年)、三代目の長女・光枝と結婚。昭和10年に三代目が他界すると、家督を継いで四代目孫次郎を襲名しました。


戦争と統制の時代──暗黒の苦難を越えて

四代目の代には、まさに戦争という大きな激動が押し寄せました。
所有していた船は軍に徴用され、醤油も戦時統制品となり、生産にも厳しい制限が課せられました。生活も事業も困難を極め、**「最も暗い時代」**といえる時期を耐え抜きました。


戦後の再出発──醤油一本に懸ける

終戦から1年後の昭和21年(1946年)6月、四代目は復興を決意。
現在地である糸崎地区に、新たに倉庫・もろみ蔵・作業場を新築し、醤油醸造を家業の中核に据えました。
その後も、ボイラー・圧搾機の導入、自動車の購入など、工場の合理化と近代化を進めます。

そして昭和33年、長年支えられてきた漁業が不振と人手不足で続けられなくなったのを機に、事業を「醤油専業」へと一本化する大きな決断を下しました。


家訓を胸に、家族と地域とともに

四代目もまた、二代目・三代目同様、村や地域の役職を多数務め、地元社会の発展にも力を尽くしました
その活動の陰には、三代目・四代目ともに、実弟たちの献身的な協力があったことも忘れてはなりません。

昭和47年(1972年)、四代目は急病により他界。
その後は妻・光枝が責任者として家業を支え、家族一丸となって「家訓」を守りながら醤油造りに励みました。

翌年、昭和48年(1973年)には創業百年祭が盛大に催され、岩尾醤油の歴史と伝統が地域とともに改めて見つめ直される節目となりました。


四代目の功績

  • 戦争による混乱の中でも家業を維持

  • 現在の拠点(糸崎)への移転・整備

  • 醤油専業への一本化という経営判断

  • 地域との共生と発展への尽力

  • 「家訓」を軸に、家族・従業員と共に事業を守る姿勢


この四代目の歩みがなければ、今の岩尾醤油はなかった――
そう言っても過言ではない、再建と選択の時代を支えた世代です。

【創業百年】人とともに歩んだ、醤油づくりの道のり

――1973年(昭和48年) 創業百周年記念――

明治7年(1874年)に初代・孫次郎が鷹巣村で醤油醸造を始めてから、
ちょうど100年目となる昭和48年。
岩尾醤油では、地域の方々・取引先・親戚一同が集まり、「創業百年祭」が開催されました。

この節目は、単なる企業の記念ではなく、「家族の努力」と「地域の支え」がなければ決して迎えられなかった日でした。


苦楽をともにしてきた家族のちから

戦争による物資統制、事業の分離・縮小、創業者の急逝――
岩尾家は度重なる困難を経験してきました。
しかし、その都度、家族が力を合わせて醤油の火を絶やさず守り抜いてきたのです。

昭和47年、四代目・孫次郎が急逝した時も、妻・光枝が中心となって家業を継続。
「夫の遺志と家訓を守ろう」と、親戚や従業員一同が心を一つにしました。

100年祭は、そうした家族の絆と支え合いの証として、格別の意味を持っていたのです。


地域に育てられ、地域とともに

岩尾醤油がここまで歩んでこられたのは、地域の皆さまの存在なくして語れません。
買い支えてくれた地元の家庭。
原料を届けてくれた農家の人々。
配達や船運を支えた近所の若者たち。
火事や災害のたびに駆けつけてくれた隣人たち。

「うちの味噌汁は、ここの醤油じゃなきゃ」
「戦後、あの醤油を分けてもらったこと、今でも忘れんよ」
そんな言葉が、当日、多くの来場者から寄せられました。

醤油の味は、人の記憶に残るもの。
それを実感する、涙と笑顔があふれる一日でした。


次の100年へ――伝統と革新のバトン

百年祭を機に、岩尾家では「次の世代への引き継ぎ」が静かに始まりました。
蔵の改修計画、設備の近代化、商品の見直し――
伝統を大切にしながらも、時代に合わせた変化を受け入れる覚悟を固めた瞬間でもありました。

「守るだけでなく、つなぐ」
その使命を胸に、今もなお、岩尾醤油は福井の風土とともに歩み続けています。


▪ 創業百年祭を彩った象徴の一言

「ありがとう。これからも、うちの醤油をよろしくお願いします。」

家族一同が揃って頭を下げたその姿に、100年の重みと温もりがにじんでいました。

【家訓を背に、蔵を守った女性】五代目代表・光枝の物語

昭和47年(1972年)2月、四代目・孫次郎が急逝。
突然の出来事に家族・従業員・地域が動揺する中、
蔵を支える重責を背負ったのが、四代目の妻であり、**現代表の祖母でもある「光枝」**でした。


「家訓を忘れず」――家業の灯を守る決意

創業から守り継がれてきた「家訓」を心の支えに、光枝は家族とともに立ち上がります。
経営者として経験はなくとも、長年、家業と共に歩んできた母としての直感と責任感が、苦境の中でも彼女を支えました。

「夫が築いてきたものを、絶やすわけにはいかない」
その想いひとつで、醤油づくりを止めず、日々の仕込みと販売に力を注ぎました。


百年の節目を支えた母なる力

そして翌年、昭和48年(1973年)には創業百周年という節目を迎えます。
光枝を中心に、家族・従業員が一丸となって百年祭を準備。
地元の方々、長年の取引先、多くの人々が集うなか、
「ありがとう」と「これからも」の気持ちが交差する、感動の一日となりました。


短くとも深い「継ぐ」という覚悟

光枝はその後も家業の責任者として、穏やかで芯のある姿勢で蔵を守り続けましたが、
昭和56年(1981年)、惜しまれながらこの世を去りました。

経営の座についた時間は限られていましたが、
**「岩尾家の味と誇りをつなぐ橋渡し役」**として、その存在感は今なお家族や地域の記憶に刻まれています。


今に続く“光枝の精神”

現在、五代目・六代目へと受け継がれている岩尾醤油の「家族でつくる、心のある醤油」には、
この光枝の時代の経験が深く息づいています。

どんなに厳しい時代にも、「誠実に、家族で支え合い、地域と生きる」――
それは、戦後・戦後復興・経営危機のなかを生き抜いたひとりの女性の生き方が、蔵の礎になっているからです。


✨ 家業は「守る」だけではない。「つなぐ」ことも、家業の使命。

光枝さんの歩みは、岩尾醤油の“もうひとつの原点”と言えるでしょう。

【未来へつなぐ挑戦者】六代目代表・岩尾 英信の想い

昭和36年(1961年)3月3日、岩尾家に待望の長男として誕生したのが、現代表の岩尾 英信です。
父・学は越廼村大味の出身で、教員として働きながら岩尾家へ婿入りし、母・玲子と家庭を築きました。
しかし学は教師としての仕事に専念し、家業は一代飛ばして、英信が代表を引き継ぐことになります。


学業と設計の道、そして家業へ

福井工業大学 機械工学科を卒業後、英信は機械設計の道へ進み、会社勤めをしながら、休日や早朝に母・玲子や分家の祖父と共に作業を手伝う日々を送りました。

その後、39歳で独立し、設計業を営みながら家業により深く関わるようになります。
父・学が他界したのを機に、本格的にすべての醤油づくりの作業を一手に担うようになりました。


継承と革新のはざまで

「よく“何代目ですか?”と聞かれると困ります」と笑う英信さん。
それもそのはず、代が飛び越しての代表就任という、歴史ある家業の中でも異例の継承だったからです。
けれども、そこには血筋や形式を超えて、**「守るべき味」と「挑戦する責任」**をしっかりと受け止めた誇りがあります。


“出荷できない梅”から生まれた新しい商品

英信さんが家業に深く関わるようになって考えたのは、地域資源の有効活用でした。
かつて父・学が自ら植えた梅の木。
その実の中には、見た目が不揃いなどの理由で出荷できない梅も多くありました。

「この梅を無駄にせず、おいしい商品にできないか――」

そんな想いから生まれたのが、「福井の恵み」シリーズの梅醤油です。
福井県の認証も受けたこの商品は、伝統の醤油と地元の梅をかけ合わせた、新しい味の提案として高く評価されています。


六代目の現在地とこれから

  • 醤油の火を絶やさず、丁寧な手づくりを守ること

  • 「もったいない」から生まれる新しい商品づくり

  • 地元福井の味・人・歴史を未来につなぐこと

伝統とは、守るだけではなく、「時代に合わせて咲かせるもの」。
六代目・岩尾英信の挑戦は、150年を越える岩尾醤油の歴史に、新たな1ページを加えようとしています。

醸造場概要

店舗名 岩尾醤油醸造元
代表 岩尾 英信
所在地 〒910-3383 福井県福井市糸崎町1-3
電話番号 0776-86-1720
FAX番号 0776-86-1721
営業時間 9:00~18:00
定休日 月曜日
祝日の場合は翌火曜日が定休日
駐車場 有り(3台)

京福バス みの浦停留所より徒歩3分